福岡県地域史研究所 所蔵史料一覧

 福岡県地域史研究所所蔵史料は、九州歴史資料館に移管されました。史料の閲覧およびレファレンスについては、同館「県史史料・図書閲覧室」へご連絡頂きますようお願い申し上げます。詳しくは、九州歴史資料館ホームページをご覧下さい。


 福岡県地域史研究所では、『福岡県史』編纂をすすめると同時に、福岡県に関係する文献や文書・記録・歴史資料等の収集整理と保存にも努めてきました。貴重な資料類は県内外各地に散在しており、場合によっては散逸の危機に瀕しているものも少なくはありません。これらを緊急に調査し、ご所蔵者の理解をいただいてその保存の手立てをはかるなど、史料調査にはじまる一連の作業は、編纂事業の中でもきわめて重要な役割を果してきました。
 特に近世から近現代にかけての史料については、福岡県立図書館が昭和51年度から実施してきた福岡県古文書等緊急所在調査の成果を引き継ぐかたちで、毎年県内の一定の地域で重点的に調査をおこなってきました。また、所蔵者や関係者からの連絡により調査をおこない、資料整理や目録の作成、保存のための作業もおこなってきました。収集整理した資料もかなりの量にのぼります。

 福岡県地域史研究所がこれまでの編纂事業の中で収集整理し、所蔵していた文書・資料類とその概要をご紹介します。それらのうち、整理作業・目録の点検作業が済み、閲覧が可能になった史料については、その目録を掲載しています。 

 

所蔵史料一覧  青字の史料は概要をご覧になれます。

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史   料   名 地  域
 (または旧蔵地)
時   期 備      考 点 数 目 録
秋月諸家文書 旧筑前国秋月領カ 明和〜大正期 諸種史料 15点 秋月諸家文書
(104KB)
秋吉文書 (大分県) 大正〜昭和 辞令、蔵書類 243点 秋吉文書
(272KB)
足立文書 福岡市 近世・近代 帳簿、書状、仕切書など 507点 足立文書
(308KB)
有田(建)文書 旧嘉穂郡 主に明治・大正 帳簿、領収書、書簡など 1,555点 準備中
伊熊(イ)文書 佐賀県小城郡小城町 天保〜明治期 武家史料(福岡藩)・家史料 116点 伊熊(イ)文書
(204KB)
石野文書 旧筑後国生葉郡下宮田村 元禄〜大正期 庄屋文書および家史料 419点 石野文書
(312KB)
石橋文書 旧早良郡入部村 安永〜明治期 家史料(地主) 229点 石橋文書
(212KB)
石橋(ハ)文書 柳川市 明治〜昭和期 家史料(地主) 320点 石橋(ハ)文書
(236KB)
伊東(尾)文書 (県内) 近世・近代 『福岡県史資料』編纂収集資料 整理中 準備中
大浦家資料 旧筑前国怡土郡田中村 天保〜明治期 家史料(証文類) 852点 大浦家資料
(400KB)
大川架橋工事関係資料 柳川市 昭和28〜35年度 柳川土木事務所および大川橋架設工事事務所資料 5点 大川架橋工事関係資料
(59KB)
貝原収蔵文書 (海外) 大正〜昭和期 在華日本人実業家の史料 131点 貝原収蔵文書
(220KB)
「糟屋郡史」編纂関係資料 糟屋郡 昭和10年代 編纂収集史料 219点 「糟屋郡史」編纂関係資料
(222KB)
糟屋郡・宗像郡戸長役場関係資料 旧糟屋・宗像郡 明治13〜20年 役場史料 6点 糟屋郡・宗像郡戸長役場関係資料
(75KB)
鎌田(恒)文書 志摩町 明治〜昭和期 書簡、はがき、志摩町関係史料など 約500点 準備中
熊谷文書 朝倉市 近世・近代 商家兼地主史料、公文書 約24,000点 準備中
古賀(昌)文書 旧生葉郡千代久村 明治初期 土地関係史料 6点 古賀(昌)文書
(50KB)
篠崎文書 不詳 明治7〜昭和6年 家史料(大福帳類) 11点 篠崎文書
(57KB)
篠田文書 大野城市 慶応〜昭和期 甘木郵便局史料 234点 篠田文書
(168KB)
庄崎家資料 (旧糸島郡) 明治〜昭和期 推薦状ほか 6点 準備中
瀬高酒造合資会社資料 みやま市瀬高町 大正元年〜15年 経営史料 12点 瀬高酒造合資会社資料
(46KB)
戦時婦人生活資料 (福岡県 大正〜昭和期 書冊類 59点 戦時婦人生活資料
(146KB)
園田文書 旧筑後国久留米 文化14〜明治42年 武家史料 256点 園田文書
(324KB)
高畠文書 旧筑前国福岡 寛政〜明治初期 武家史料 17点 高畠文書
(84KB)
戸川(博)文書 福岡市城南区 明治〜大正期 日誌・営業報告書 312点 戸川(博)文書
(276KB)
杤木商事資料 北九州市 昭和16〜18年 海運関係 17点 杤木商事資料
(140KB)
友枝村役場文書 旧上毛郡 明治期 公文書 7点 友枝村役場文書
(76KB)
鳥居文書 久留米 近世・近代 主に証文、書簡など 303点 鳥居文書
(328KB)
中尾文書 糟屋郡 近世・近代 もとは大庄屋。主に長帳、書綴など 2,482点 中尾文書
(736KB)
中間唐戸水門文書 不詳 文政〜慶応期 堀川唐戸・寿命水門の普請関連史料 14点 中間唐戸水門文書
(102KB)
永江文書 みやま市高田町 近代 明治・大正期の衆議院議員永江純一関係史料(公文書を含む) 約19,000点 準備中
西川文書 旧筑前国秋月 寛永〜享保期 武家史料 326点 準備中
野田大塊文書 東京都港区 明治〜大正期 明治・大正期の衆議院議員野田卯太郎関係史料 3,503点 野田大塊文書
(1.3MB)
花瀬村庄屋文書 旧筑前国穂波郡花瀬村 近世・近代 庄屋文書および家史料 6,000点 準備中
羽野文書 旧筑前国 元文〜明治期 武家史料 165点 羽野文書
(216KB)
林(美)文書 福岡市南区 近世・近代 福岡藩大工棟梁史料 486点 林(美)文書
(356KB)
東下村史料 旧豊前国上毛郡東下村 享保〜明治前期 上毛郡友枝手永関係史料 129点 東下村史料
(136KB)
平山文書 三池郡大牟田 明治〜大正期 平山材木瓦商店史料 約800点 準備中
福岡県酒造組合資料 (福岡県) 明治期 組合資料 30点 福岡県酒造組合資料
(100KB)
福岡藩関係史料 (福岡県) 近世・近代 福岡藩関係史料 633点 福岡藩関係史料
(588KB)
福田文書 旧筑前国遠賀郡陣原村 寛政〜昭和戦前期 家史料(生蝋米諸品売買関係) 65点 福田文書
(140KB)
藤井(甚)文書 糟屋郡 近世・近代 宛行状(写)、書状など 167点 藤井(甚)文書
(284KB)
本田(誠)文書 旧筑前国遠賀郡岩屋浦 慶長〜明治期 浦庄屋史料 176点 本田(誠)文書
(251KB)
松村(ム)文書 旧筑前国福岡紺屋町 正徳〜昭和戦前期 商家の経営史料および家史料 1,192点 松村(ム)文書
(400KB)
松屋文書 旧筑後国柳川中町 安政〜明治期 米屋の経営史料 7点 松屋文書
(49KB)
御笠郡土木資料 旧筑前国御笠郡 明治期 役場史料 11点 御笠郡土木資料
(62KB)
水城文書 旧筑前国御笠郡山家村 文化〜明治期 庄屋文書および家史料 51点 水城文書
(116KB)
宮川文書 福岡市 明治期 福岡医学校関係史料 60点 宮川文書
(132KB)
矢野文書 旧筑後国生葉郡朝田村 安永〜明治期 家史料(証文類) 379点 矢野文書
(290KB)
矢野(久)文書 うきは市吉井町 昭和戦前期 営業報告書 36点 矢野(久)文書
(72KB)
山北村庄屋文書 旧筑後国生葉郡山北村 元和〜明治期 庄屋文書および家史料 1,151点 準備中
鑓水文書 旧筑後国生葉郡妹川村 享保〜昭和戦前期 庄屋文書および家史料 618点 鑓水文書
(296KB)
矢山村史料 旧企救郡矢山村 明治期 布達・布告綴 13点 矢山村史料
(72KB)
渡辺(半)文書 旧築上郡角田村 明治〜大正期 役場史料および家史料 99点 渡辺(半)文書
(124KB)
福岡県地域史研究所 所蔵地図 福岡県 天保〜昭和期 地図・絵図・案内図など 204点 所蔵地図目録
(288KB)

主な所蔵史料の概要

秋月諸家文書
 秋月諸家文書は、旧筑前国秋月藩領を出所と推定される諸種史料15点である。
 史料は享保19年〜大正7年まであり、明治以降の帳簿類が主なものである。享保19年「天神講定書帳」、明和元年〜弘化3年、および明治6年〜18年の「天神講備銀根帳」、明治22年〜36年「〔天満宮講〕現金引渡帳」など天神講や頼母子講に関する史料が5点みられる。そのほかには、金借用簿、普請支出簿、賃金催促の訴えに対する「裁判言渡書」などがみられるが、相互の関連は分からない。
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秋吉文書
 秋吉文書は、かつて大分県立中津中学教員を勤めた秋吉家の史料である。主たる史料は辞令と蔵書類である。昭和18年、中津中学校の創立50周年に際し、秋吉三郎は「本校教育尽瘁」につき表彰されている。蔵書から推察すれば、国語・漢文を担当したと思われるが、現在のところ詳細は不明である。
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足立文書
 足立家は、博多大濱の商人で、屋号は米屋、油屋である。米、油、肥料をはじめ、手広く商いを行っていたようである。主たる史料は、それらの商いに関する帳簿、書状、為替手形、仕切書などである。
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石野文書
 石野文書は、旧筑後国生葉郡下宮田村(現・うきは市吉井町宮田)の庄屋(代)を勤めた石野家に関する約300点の史料である。
 近世の下宮田村は、はじめ柳川藩領、元和6年に久留米藩領となり、大庄屋石井組に属していた。明治9年に北隣の四太郎村とともに宮田村の一部となり、その後、宮田村は明治22年の大合併で千年村、昭和30年以降は吉井町の大字となった。
 史料は、元禄12年〜大正7年のものであり、半数ほどが近世の史料である。近世中期の貢租や水利に関する史料が若干見られるが、とくに天保期以降の下宮田村庄屋役を務めた石野隆七、丈一に関わる史料が多くを占める。石野隆七が明治4年に下宮田・四太郎・今丸三ヶ村の庄屋役を務めていた関係から、四太郎村や今丸村の史料も若干含まれている。日田街道に近い立地のため交通に関する史料も見られ、また隈上川より引いた用水路についての諸村(朝田村、福久村、溝尻村など)との取り決めに関する史料、慶応期から大正期までの公用・私用の日記類などが見られる。
 仮目録および解題を『福岡県地域史研究』18号に収録している。
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石橋文書
 石橋文書は、旧早良郡入部村東入部の大地主であった石橋家の旧蔵史料208点である。
史料の内容は、明治14年11月改「西脇村小作帳」、明治30年代を中心とした講・納税・小作・早良貯蓄銀行など雑多な史料が含まれている。このほかには、安永期から明治8年頃までの土地の質入、売渡証文の一群があり、いずれも一紙文書である。
 文書の表題の頭に「吉田」の印を押したものが多く、近世の土地異動を明治初年の地番(朱書している)で照合し、「・・・県第八大区/・・・戸長役場印」という割印があるところからみて、多くが近世文書ではあるが、戸長役場文書として生きていた史料群と考えられる。 
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石橋(ハ)文書
 石橋(ハ)文書は、柳川市横山町石橋ハツエ氏から当研究所へ県史編纂のため寄贈された89点の史料である。近世史料を若干含むが、中心となるのは明治以降の地主史料である。
 明治14年に、山門郡中島村・東開村・明野村・豊原村・皿垣開村・佃村で実施された裂地調べの史料、明治20年の地目変換、落地編入、畦畔新設関係の帳簿、明治30年代以降の小作地台帳、昭和期の小作米台帳などがある。また、家関係では家訓・遺言などが残されている。 
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大川架橋工事関係資料
 大川架橋工事関係資料は、柳川土木事務所および大川橋架設工事事務所にあったとみられる昭和28年度から同35年度までの5点の簿冊である。このうちの3点は、昭和28年度から30年度にかけての国道熊本佐賀線(国道208号)の佐賀県諸富町と大川市向島を結ぶ筑後川にかかる大川橋の架設工事に関する史料である。残る2点は昭和28年度の瀬高佐賀線の山門郡三橋町内における災害復旧工事関係、および昭和35年度の柳川市橋本開地内での海岸堤防修復工事に関するものである。
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貝原収蔵文書
 貝原収蔵は、1879年に貝原益軒の分家9代目貝原秀雄の弟として生まれた。修猷館、東洋協会(拓殖大学)を卒業後、1905年7月大阪商船会社に就職し、江副商会に転社、大連で煙草販売に当たった。1906年、東亜煙草株式会社に転社し、第一次大戦期には東洋塩業株式会社常務取締役、青島塩混保管倉庫会社取締役、青島塩業組合長などを歴任した。その他、居留民や日本人企業全体のとりまとめを行う要職も歴任した。第二次大戦後は、福岡県引揚者更正会連合会長を務め、1973年6月に没した。
 戦前期、大陸に進出した一日本人実業家の軌跡の一端を窺うことができる興味深い史料である。
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「糟屋郡史」編纂関係資料
 「糟屋郡史」編纂関係資料は、「糟屋郡史」編纂に関する70点以上の史料である。
 昭和12年末に糟屋郡教育会で「糟屋郡郷土史」編纂の議が起こり、翌年皇紀二千六百年記念事業として、教師用資料としての「糟屋郡史」を編纂することが決まった。詳細な目次も決定し、一部の原稿の執筆も終わっていたが、「糟屋郡史」は遂に完成されず、計画も途中で放棄されている。理由は明らかではない。
 史料は、編纂に関する編纂事跡、収集史料、未定原稿からなる。収集史料は全て写しであるが、この中には原本がすでに失われたものもあり、貴重な史料を含んでいる。
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糟屋郡・宗像郡戸長役場関係資料
 糟屋・宗像両郡の戸長役場関係の資料6点からなるが、相互の関連はみられない。
 明治13年から20年までの土地建物売買譲与の公証割印帳の類3冊(内1冊は合綴)には、現在の古賀市、糟屋郡新宮町(的野のみ)にあたる戸長役場の割印がある。
 明治12年、宗像郡三郎丸村の「用水路新築目論見帳」では、瓶樋、麁粂(そだ)、松木、大工、木挽、人足などの見積が書かれている。明治17年7月「通常村会議案」は戸長今林孫十郎(福間)関係の資料である。予算案には村吏の給料などが書かれていて興味深い。明治12年「右門樋変換目論見帳」は宗像郡旧多礼村の資料であり、末尾には彩色をほどこされた地図が添付されている。
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熊谷家文書
 熊谷家(朝倉郡杷木町、現・朝倉市)は、文政期ころより製蝋業(屋号は松屋、または蝋屋)、酒造業、地主経営などを営んだ商家兼大地主である。文久2年、「〔上座郡〕林田村へ入庄屋役被仰付」、幕末期には「永代弐人扶持被下、猶又格別を以倅代迄大庄屋格」に申し付けられている。
 19世紀初頭から20世紀初頭にかけて、製蝋業の分厚い帳簿類が多数残されている。土地関係証文類も数多い。明治・大正期になると、4代藤五郎は松末村会議員、朝倉郡会議員、福岡県会議員ほか多くの公職を務めるとともに、郡内で最初の私立銀行かつ株式会社として益栄銀行を設立し、その他にも地元企業の取締役、監査役を務めるなど、いわゆる「地方名望家」であった。したがって、村会・郡会・県会に関する貴重な公文書を多数含む点も、熊谷家文書の大きな特徴である。
 熊谷家文書は、福岡県地域史研究所の収集史料のなかでも最大のものの一つで、現在も史料整理を継続している。
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古賀(昌)文書
 本文書は生葉郡千代久村(現・うきは市吉井町富永)の古賀昌朗、昌史氏家に関係する史料である。古賀家は千代久村の有力な家であるが、詳しいことは調査中である。
 本文書は全体でわずかに6点にすぎないが、明治初期の千代久村の土地関係を窺うことができる史料が含まれる。
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篠崎文書
 明治7年から昭和6年までの大福帳など長帳11点の史料である。点数も少なく断片的な史料である。篠崎家については、所在地をふくめて現在のところ明らかでない。
 この史料で最も古い明治7年の「大福帳」には「小坂屋隠居」 とあり、明治中期から大正初期のものには「篠崎藤十郎」や「篠崎商店」 の名がみえる。
 「大福帳」、「萬覚帳」、「当座帳」などの一連の金銭出入りに関する帳簿類のほかには、明治26年の「牛預売買帳」、同32年の「無尽帳」が含まれている。
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篠田文書
 篠田文書は、大野城市の篠田清竹氏より寄贈された228点の史料である。代々旧秋月藩士であった篠田家は、明治維新後の六代篠田定明のときに秋月郵便局、続いて甘木郵便局の開設当初からの取扱役を命じられ、その晩年には筑前国三等局長郵務協議会会長を務めている。また、7代定規も甘木郵便局局長、筑前三等局長会副会長を、8代定明も同職を務めている。
 史料は、慶応から昭和43年までみられるが、明治初期から昭和10年代までの甘木郵便局関係資料がほとんどである。明治7年「日本帝国郵便規則」、昭和10年前後の「給料精算書」、明治期「会計日誌」、昭和初期「諸通達綴」などがある。
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瀬高酒造合資会社資料
 山門郡瀬高町(現・みやま市瀬高町)にあった「杉翠印」清酒の醸造元の帳簿類である。12点の内訳は「酒類受払帳」が4点、「出入帳」が3点、他は「酒類製造帳」、「酒類売上帳」、「酒類売場和水帳」、「入金内訳帳」、「出金内訳帳」。大正元年度から15年度まで、内容、年代ともかなりのばらつきがある。 
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戦時婦人生活資料
 戦時婦人生活資料は、主に愛国婦人会、主婦之友社から発行された書冊類から構成される。愛国婦人会は、「我カ国婦人結束ノ力ニ依リ国運ノ隆昌及社会ノ福祉ニ貢献シ併セテ婦人ノ智徳ヲ錬磨シ其ノ地位ヲ向上セシメムルトスル」ことを目的として、明治34年2月創立された。主婦之友社から発行された『主婦之友』は、月刊誌である。附録として、毛糸編み物の編み方などが詳しく紹介されており、当時の生活の一端を知ることができる。
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園田文書
 園田家は久留米藩の陪臣で、家老の岸家に仕えた。園田家初代の孝好が、天和年中(1681〜1683)に岸家3代目貞知へ仕官したのが端緒である。享和元年(1801)に、御井郡五郎丸組市上村に居を構えていることが確認でき、以後代々東久留米に居住した。  
 園田文書は計228点で、江戸期から明治期にかけての史料群である。なお、購入文書である。近世文書としては、達や岸家書状、家長役誓詞などがあげられる。達は、近世中期以降の藩財政悪化による家中仕置が主である。つぎに近代文書として、6代目治興(剣号:円斉)による道場設立などの武芸活動や、金銭貸借に関するものがあげられる。これらのほか、文化14年(1817)から明治39年(1906)頃までの金銭貸与に関する帳簿が残っている。「万竹堂」を屋号とし、親戚間をはじめ福嶋村大庄屋や町人など広範に貸与関係を持ち、近代に入ってからも継続した。また、俳人でもあった5代目興洽(思成)や「万竹堂詩集」(漢詩)を著した6代目治興を輩出したことに由来するのか、漢詩・和歌なども多く遺されている。
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高畠文書
 高畠文書は、11点の史料である。文書にみえる高畠五郎右衛門由寿は、中村家から高畠家に養子に入り、文政6年に家督を相続、納戸勤を命ぜられ、その後さまざまな役を勤めている。慶応期の分限帳によれば禄高420石で、馬廻組に属していた。
 史料の中でも「代々取留所務目録」は寛政元年から元治元年までの所務を書き留めたもので、特に文政6年からは藩政に関わる記録も書き留めている。また、「萬秘伝書」、「萬菓子作様并香物漬様薬酒造様之事」など当時の生活に関わる事柄を細かく書き留めたものや、屋敷の様子を詳しく描いた絵図などがある。この他に文久から明治にかけての、筑前各郡の絵図や海路図、屋敷図、道中図などもある。
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戸川(博)文書
 戸川(博)文書は、旧福岡藩士戸川家に伝わる明治・大正期の史料である。当主戸川直は、明治18年に設立された士族授産事業のひとつ、筑陽社の設立に参画し副社長となっている。一方、同16年から17年、22年から36年までは県会議員を務めている。また、さまざまな企業の設立に関与している。同文書は、戸川直の日誌類、北筑軌道・筑紫水力電気・十七銀行等々の営業報告書、農業関係そして書籍類等、全191点からなっている。
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杤木商事資料
 
杤木商事株式会社は、大正4年12月に杤木順作商店の業務一切(海陸運送業、石炭販売業、鉄工造船業、代理業、請負業など)を継承して設立された。八幡、東京、阪神、京浜、上海などに支店および出張所を開設し、昭和12年6月に甲子鉱業株式会社を吸収合併した。昭和18年6月に鉄工、造船部門を分離し、福岡県若松市に九州造船株式会社を設立した。
 資料点数は少ないが、戦時中の資料として貴重である。
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友枝村役場文書
 郡区役所の名称は、明治11年7月布告第17号郡区町村編制法にはじまる。明治24年4月、郡制施行とともに一郡に一郡役所が置かれ、福岡県では29年郡の廃置分合が行われた。友枝村は、はじめ上毛郡、明治29年からは築上郡に所属した。役場は、土佐井に置かれた。
 福岡県地域史研究所では、県内において郡役所に関する公文書がどれほど保存されているのか把握していない。県内の各役所、公的な歴史資料館などに尋ねるしかないだろう。あるいは、新しく設置される共同公文書館に移管され、一元的な保存体制が整備されるのかもしれない。しかし、全国的には、郡役所に関する公文書の多くは散逸したといわれる。史料点数はわずか7点であるが、郡からの告示、公告、訓示などを綴った貴重な公文書である。
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中間唐戸水門文書
 中間唐戸水門文書は、宝暦年間に遠賀川と洞海湾を結び開鑿された堀川運河の、唐戸と寿命に設けられた水門の普請に関する史料12点である。もとは河守神社の史料や、一田家文書などをはじめとする堀川関係の諸文書のどれかと一体のものではなかったかとも考えられるが、由来は明らかではない。
 史料は文政期以降の水門やその上家の普請、堀川筋の板橋の架替えなどに関する長帳、小横帳などである。 そのうち「嘉永七寅年分堀川下拾六ヶ村催合」によれば、堀川筋の中間村、二村、岩瀬村、吉田村など計16か村は、水門の普請、運河の管理(藻浚など)への出費とともに、堀川を守護していた河守神社の祭礼にも多くの出費を行っている。また、この年の催合の合計額は「丁銭弐百五拾弐貫八百五拾壱文」であり、これを「水下夫数四拾八人ニ割、壱人ニ付五貫弐百七拾五宛」の計算をとしている。関係する村は16村であるから1村平均3人ずつとなるが、実際には中間村の「四人七分六厘」から則松村の「八歩」まで、村によってその賦課額が異なっていたことがわかる。ほかに、嘉麻郡岩崎村庄屋組頭の願書や書状も含まれている。
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永江文書
 永江文書は、三池郡江浦村(現・みやま市高田町江浦)の永江純一関係史料を中心とした約19,000点(平成21年8月現在)を超す史料群である。
 永江純一は、嘉永6年永江藤次郎の長男として生まれた。明治11年に三池郡永治村戸長、15年には江浦村の戸長を兼任し、19年県会議員を経て、31年以降衆議院議員をつとめている。その間、明治19年三池銀行、20年三池土木、22年三池紡績(後に九州紡績となり、その後鐘淵紡績に合併)の設立に参加し、それぞれ頭取、取締役として各企業の経営に参画している。また、政治家としては、政友会の結成後同党に所属し、大正2年には2度目の幹事長に就任している。第12回総選挙の指揮を執っているさなか病を得、議員辞職後に帰郷、大正6年12月に死去した。
 永江純一の経歴から明らかなように、この史料群は大きく企業経営関係の史料と政治活動関係の史料とに分けられる。前者のうち、紡績会社経営関係史料の多くは、すでに『福岡県史 近代史料編 綿糸紡績業』に収録されている。後者の一部は『福岡県史 近代史料編 自由民権運動』に収録されている。また、貴重な公文書も多数含まれている。
 既整理史料の目録の一部は『九州石炭礦業史資料目録』第9〜12集(西日本文化協会、1983〜1986年)に収録されている。 
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西川文書
 西川家は、福岡藩の支藩である秋月藩の家臣であった。慶安(17世紀)の分限帳には鉄砲頭衆200石、享保(18世紀)の分限帳には御馬廻200石、文政(19世紀)のそれにも御供頭200石と記載されており、近世を通し秋月藩の中級家臣であった。知行地は筑前国夜須郡上浦村と下座郡堤村(いずれも現在、福岡県甘木市内)にそれぞれ100石をあてがわれていた。
 史料は寛永から享保にいたる326点からなり、ほとんどが上浦村庄屋と堤村庄屋から西川宛の年貢上納関係文書である。近世前期の年貢上納関係を知るかなりまとまった史料である。
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野田大塊文書
 三池郡出身の明治・大正期に活躍した政治家、野田卯太郎(1853〜1927)の関係文書である。
 野田は自由党・政友会系の政治家で、県会議員を経て衆議院議員となり、政友会幹事長、逓信大臣、商工大臣、政友会副総裁を歴任した。また永江純一とともに、三池銀行、三池紡績の創立にあたるとともに、大日本綿糸紡績同業連合会委員、東洋拓殖副総裁などをつとめた。
 野田文書はおおむね、書簡を中心とする約2,300点の文書、日記・手帳、約300点の書類からなる。とりわけ重要なのは書簡史料である。野田は自由党・政友会系の政治家であるとともに、伊藤博文、井上馨、寺内正毅、徳富蘇峰らと親しく、書簡に含まれる政治情報は多岐にわたっている。また関係した会社や同業組合の活動など、財界史料としても貴重である。残念なのは、書簡史料については大正6年前後を下限として、それ以後のものが失われていることである。日記は明治22年から大正15年までのものが残されている。
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花瀬村庄屋文書
 花瀬村庄屋文書は、旧筑前国穂波郡花瀬村(現・飯塚市花瀬)の庄屋大和家に伝来した史料である。花瀬村は、はじめ福岡藩に属し、元禄元年には直方藩領となり、それから享保5年より再び福岡藩領となっている。内容は、慶長期から明治期までのものがあり、慶長7年「検地帳」をはじめ「名寄帳」「倹約作法書」「宗旨御改帳」などがみられる。 
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林(美)文書
 林(美)文書は、福岡藩の大工頭のもとで大工棟梁を勤めた林家の子孫である林美数世氏旧蔵の史料である。林助四郎は安永3年に、その子武四郎は文化11年に御普請御役所棟梁役を命じられている。文書の多くはこの2人に関するものであるが、林氏は近代には簀子町惣代をも務めており、その貢献に対する感謝状なども若干含まれている。
 文書の総数は485点で、そのうち建築間取図や建築部材見積りなど、新築・修復などにかかわる近世史料が大半をしめている。建築関係文書の内訳は、江戸藩邸に関するもの、各所定番役宅・遠見番所・台場など警備に関するもの、奉幣使・巡見使などの饗応に関するもの、藩と深い関係にある寺社に関するもの、福岡城三ノ丸御下屋敷に関するものなどに大別される。いずれも建築史や都市空間史を知るうえで貴重な資料であり、また、藩が直接普請した一連の施設の性格を知ることもできよう。 
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東下村史料
 東下村史料は、旧豊前国上毛郡友枝手永の諸村に関する120点余の史料である。
 友枝手永諸村のうち東下村(現・築上郡大平村)に関する史料が圧倒的に多く、尻高村・西友枝村・矢方村関係の史料なども若干含まれている。文書の作成時期は享保から明治前期にわたるが、ほとんどは文政以降のものである。文書の作成者として多くその名がみられる東下村庄屋中村家に伝わったものと思われる。
 近世史料の内容は、「川成改帳」、「野取帳」、「救米割符帳」、「納米差引帳」、「諸物成名寄帳」、「役目帳」、「宗門改帳」などで、種類も豊富である。
 近代史料としては、庄屋から上毛郡第65区の区長となった中村碩蔵に関わる第65区関係の史料、地租改正関係史料、および各種書式の雛形などがみられる。 
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福岡県酒造組合資料
 明治18年、布達第40号により同業組合準則が公布された。明治22年9月、初代会長小林作五郎の尽力により、福岡県聯合酒類製造同業組合が創立され、翌23年4月に福岡県酒造業組合と名称を変更した。明治31年12月、酒造税法が改正され、明治32年7月、酒造組合規則が勅令第340号として公布された。新たな酒造税法に拠る組合を設立するため、再び組織変更が行われ、明治32年10月に創立総会を開催し、定款を改め、同年12月福岡県酒造組合が認可された。
 資料点数は少ないが、組合を知るうえで不可欠な「決算報告書」「総会決議録」などが含まれている。組合の基本的な沿革と業務については、橋詰武生編『福岡県酒造組合沿革史』(福岡県酒造組合、昭和32年)に詳しい。
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福田文書
 福田文書は、旧筑前国遠賀郡陣原村福田家に関する60点の史料である。遠賀郡陣原村(現・北九州市八幡西区)は、明治初期には稲、麦、菜種などを作り、生蝋が生産されていた。
 史料は、寛政から昭和戦前期にまでおよぶ福田家の家政史料である。寛政期の借用証書や、福田直次郎・徳市が関わる生蝋・米などの「売記」および諸品(石炭油・大豆など)の「買記」など、明治期の史料が中心である。また、昭和戦前期の書簡や日本製鉄八幡共済組合「愛国国債共同購入掛金現在高通知書」、「従量電灯料領収証」などがある。
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藤井(甚)文書
 藤井甚太郎は、明治16年、旧福岡藩士藤井一寛の長男として福岡市に生まれる。糟屋郡古賀町で成長し、修猷館、旧制五高を経て、東京帝国大学文科大学史学科に進学した。大学院で徳川幕末史を研究し、後に文部省維新史料編纂事務局に入り、歴史研究者として歩んでいく。第二次大戦後、実践女子専門学校、法政大学教授に就任し、維新史・憲政史の権威であった。
 文書は近世期のものが多く、断簡類にある〔文書等目録〕からすでに近世段階から給地判物類の整理がなされていたことが窺える。なお、藤井甚太郎に関する史料群はいくつかに分散している。他機関所蔵については、さしあたり、『福岡県地域史研究』第7号所収の「福岡県糟屋郡古賀町所在史料仮目録」、福岡市博物館編『昭和63年度収集 収蔵品目録6』などを参照されたい。
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本田(誠)文書
 本田(誠)文書は、旧筑前国遠賀郡岩屋浦(現・北九州市若松区有毛)の浦庄屋家に伝来の慶長期より明治期におよぶ記録である。岩屋浦は、響灘に面した有毛村の枝郷であり、延宝8年には福岡藩によって岩屋遠見番所(島番役)が設置されている。また、慶応2年の小倉戦争の際、筑前国遠賀郡に避難した小倉藩平松浦の漁民の一部は、この岩屋浦に滞在している。
 史料は、慶長13年「有毛村之内岩屋村畠方帳」と寛文元年切支丹「条々」が初期に属し、宝暦11年「浦奉行通達」、同14年「有毛村庄屋組頭願書」、明和9年「浦大庄屋勤方心得之事」、寛政6年「異国船唐船漂流漂着之節御定書」などがそれに続く。また、寛政期以降の海難の浜証文類も多くある。田畠関係証文は享保7年に始まるが、寛政期以降のものが多い。明治5年以降のものはほとんどが田畠関係である。 
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松村(ム)文書
 松村(ム)文書は、旧筑前国福岡紺屋町松村家(楠屋)に関する1,033点の商家史料である。
 松村家(楠屋)は、享保初めごろから質屋と酒造を営み、享保末ごろには、質のほかに蚊帳、帷子、古手、木綿、木綿縞、米、みそ、醤油などを取り扱っていた。6代目半兵衛(後に半平)のころ1人扶持を与えられ、それ以後「年寄格」、「御用聞町人」、「年行司格」と家格をあげ、慶応元年半右衛門の代には福岡・博多町人格式の上位3番目にあたる「大賀次」となった。
 史料は、正徳3年以降から見られ、その多くは近世後期から明治前期のもの、享保以降の「大福万覚帳」、「算用帳」、「種櫨買入帳」、「米穀買入帳」、「店卸覚」などの経営帳簿とともに、諸種の売買証文、借用証文、預り手形、口上書、願書などが残っている。また、藩士が楠屋からの借入金を返済するために行なった「直津出」(借主の知行地から貸主の商家へ年貢を直納すること)に関する史料も少なくない。法事関係の帳簿類からは、葬送の慣行や松村家を巡る社会関係を伺うことができ、その他にも紺屋町の絵図、松村家の宗門人別帳、称誉に関する史料などがある。
 仮目録および解題を『福岡県地域史研究』17号・18号・23号に収録している。なお、点検・補修のため、ホームページによるPDF目録は、史料番号1から1033までを掲載している。残る史料番号1034〜1333については、同上23号収録の目録を参照されたい。
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松屋文書
 松屋文書は、いずれも「大福万覚帳」と題する長帳7点である。1点が安政6年で、他は明治14年、21年、23年〜36年。明治期の分はいずれも中町(または中街、南加街)の松屋喜太郎とあり、内容から見て、松屋は、現在柳川市に属する中町で米屋を営んでいたようである。明治26年の分を見ると、米、大豆、餅の売上の記録であり、取引先は小口は当町、市街といった地域ごとに、大口は大和屋などの屋号、十時などの姓で分類されている。
 安政6年の分は満津屋岩太郎の手になり、宿屋、料理屋の賄いの記録と思われる。客の名、賄いの内容、代金などが記されている。昼の賄いに「蒲焼」とあるのは土地柄を表わしていておもしろい。また、客の中には御代官様、御役頭様なども見られる。 
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御笠郡土木資料
 御笠郡土木資料は、土木関係の公文書であり、筑紫野市域の旧役場史料であると考えられる地図5点、台帳6点からなる史料である。
 明治28年の「土木ヶ所調帳」2点は二日市村大字武蔵、山口村大字針摺のもので、大字の総代が立ち会って作成し、那珂御笠席田郡長に宛てた形式を取っている。土木ヶ所に村営、郡営の区別を立てる必要があったようである。そのほかに、「土木取調帳」4点は、吉木村、紫村、杉塚村、二日市村のもので、明治22年の町村合併以前に作成されたことが明らかである。これは戸数、人口、田・畑・宅地反別など村の基本的な統計をあげた後、川之部、道路之部、用水之部、悪水之部に分けた土木関係の台帳となっている。
 地図はこの「土木取調帳」に対応するものと思われ、27年8月作成の二日市村大字杉塚「土木取調図」では赤・青・紫などに色分けされ、字、小堰、樋、道、用水、溜池などが書き込まれている。残る地図は、針摺、二日市がそれぞれ2点あり、二日市町関係の分には現在のJR、西鉄に相当する線路が描かれ、山十製紙会社や、延寿館、コルク工場、尋常高等小学校、変電所、二日市町公開堂、避病院、乾繭所などの位置が書き込まれている。二日市温泉周辺の地理をうかがうことのできる好史料である。 
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水城文書
 水城文書は、筑紫野市山家の水城家旧蔵史料であり、47点からなる。
 「郡屋」あるいは「山家宿御郡家」の水城正五郎、「山家駅河口屋」水城五郎七らの家に伝来した史料であり、水城正五郎の肩書きは、宿場の郡屋守をつとめていたことを示している。福岡県文化会館編『福岡県古文書等緊急調査報告書(旧筑紫郡)』によれば、昭和56年水城家3軒を調査した中に本文書はみられず、文書の中に残されたメモから、昭和47年以降緊急調査以前の間に旧蔵者の手から離れていたものと推測される。
 史料の内容は、まず村方史料として文化2年11月「山家村軸帳」がある。また、藩政に関わる史料として、安政2年8月「筑前国人数并郡中大河牛馬船覚」、嘉永6年4月「筑前寺社領」があり、後者は途中に「御制札写(明和2年3月写)」と「御書出し」が含まれている。そのほかには幕末の風説書2点がある。家関係では明治27年1月から28年1月末までの「日誌(仮題)」のほか、昭和26年までの日記が断続して残っている。明治5年9月「田畠地代控帳」は宅地の野取図に類するものだが、「大道」に沿った宅地の様子や宅地内の家屋の配置、隣接する境地の持ち主など、通常の野取図より詳しい情報が得られる。 
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宮川文書
 宮川文書は、宮川謙三氏(元九州大学教授)宅に保存されていた、福岡医学校に関係する史料である。
 明治12年7月、福岡医学校は、博多川畔の東中洲に開設し、翌13年1月開校式が行われた。福岡医学校教師には東京大学医学士の大森治豊・熊谷玄旦などが着任した。史料のほとんどは明治10〜20年代のものであり、当時の講義スタイル、内容などを知ることができる。
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矢野文書
 矢野文書は、筑後国生葉郡大石村(現・うきは市浮羽町)の矢野茂七のもとにあったものと思われる。
 近世の地名は朝田村中津留名で、明治9年に中津留名は古川村になり、明治22年に合併して大石村になっている。そして生葉郡は明治29年から浮羽郡に所属している。
 史料は安永期から明治期にいたる380点からなり、そのほとんどが矢野家宛の借用文書と講の文書で構成されている。借用の引当としては、田畑のほかに講口・籾・辛子(芥子)・仏具・荷舟等が当てられている。講の内容は、伊勢講・頼母子講・畳講等である。この他「安永四乙未以来年普記」には当時の米価やその他の物価が記されている。近世の矢野家については不明であるが、明治期の矢野茂七は、資産家で、清酒醸造を営み、村会・郡会議員や、大石銀行の監査役を務めている。
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矢野(久)文書
 矢野(久)文書は、うきは市吉井町の矢野久治のもとにあったと思われる生吉銀行・筑後軌道・九州鉄道・連絡自動車各会社の営業報告書類を中心とした36点からなる。なお、矢野久治の詳しい経歴は不明である。
 最も量的にまとまっている生吉銀行に関する史料には、若干の欠落はあるが昭和3年下期から13年下期までの営業報告書および株主名簿がある。筑後軌道については、昭和3年上期の営業報告書ならびに4年下期から6年上期にいたる(5年下期欠)清算事務報告書、6年11月25日付の決算報告書が含まれている。連絡自動車関係では、昭和3年下期、6年下期の営業報告書と同年上期の財務諸表および6年10月1日印刷の定款がある。また、史料より矢野久治がそれぞれの会社の株式を所有していたことがわかる。そのほか、昭和10年下期の九州鉄道(現西鉄)の営業報告書があるが、同社の株主ではなかった矢野久治の手にいかなる経緯で渡ったのかは不明である。 
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山北村庄屋文書
 山北村庄屋文書は、うきは市浮羽町山北の河北昌輔氏宅に伝来した1,162点の史料群である。本史料群は旧山北村の庄屋吉瀬家旧蔵のものであるが、折半された半分を昌輔氏の祖父河北幾次氏が受け継ぎ、他の半分は所在不明で散逸したと思われる。
 山北村は、近世は久留米藩の領域に属し、吉井の大庄屋田代家の支配(田代組)内にあった。近世初期より明治初期まで吉瀬家が庄屋、戸長をつとめており、河北家は組惣代・長百姓・横目をつとめている。藩政村としては著しく広範囲の村であり、本村と筑後川畔の三ヶ名からなっている。本村・三ヶ名の産土神は賀茂大明神(賀茂神社)であり、文禄4年には850石余、慶安以降は1,200から1,300石、三ヶ名300石程度であった。
 史料は元和5年の検地帳(前欠)をはじめ近世前期より明治期にいたるまでの、村方の庄屋に伝来する文書の一般的な在り方を示している。近世前期については、数は少ないが慶安元年「御物成御年貢割符」、承応3年「五才以上人数御改帳」、明暦3年「草臥百姓続百姓帳」などがある。
 元禄ないし享保期以降は文書の数もしだいに多くなり、とくに後期、幕末期のものが多い。「本地開方田畑石高」、「物成高帳」、「坪付帳」、「畦数野取帳」、「年貢割付帳」、「名寄帳」、「公役割賦」、「役高帳」、「津出着到帳」など土地、年貢、夫役関係のもの、「宗門御改人別帳」、「五人組帳」、「人高帳」、「軒数牛馬数控」、「居屋敷畦御改坪付書上帳」、「御印棒並職人書上」など人、身分、人数、軒数、牛馬関係のもの、「御用廻状」、「御用覚帳」、「御用留」、「算用覚書帳」など支配や村政関係のもの、また御囲籾や農兵や神社の祭礼など、村の生活全般におよんでいる。
 明治初期は地租改正関係のものが多く、ほかに布達、願伺書、上納徴収関係や「秣山境界定約証」、「戸籍番号取調子書上帳」などがある。 
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鑓水文書
 鑓水文書は、旧筑後国生葉郡妹川村(現・うきは市浮羽町妹川)の鑓水静夫氏宅に伝来した578点の史料である。
 妹川村は、近世期には吉井町の大庄屋石井家の支配下にあり、明治初期は第四大区小一区、明治9年には第十一大区二小区、同11年に再び妹川村となり、同22年の町村制の施行によって小塩、新川、田篭とともに姫治村の大字となっている。鑓水家は妹川村藤波名の名頭役を家職とし、明治期には村政にも深く関わった名望家であった。
 史料は、田畑畝高・物成、山関係や幕末の農兵や軍役関係、そのほか多くの売買、譲渡、貸借関係の証文が含まれる。また、幕末期の妹川村が関わった秣山をめぐる山論に関する史料は、注目すべき史料である。
 明治・大正期の史料の大部分は、名頭で後に保長、姫治村村会議員、助役をした鑓水球平次の代のもので、妹川村・姫治村の地租、村政などに関係するものが多い。家関係では、「出精籾取立帳」、「同貸付帳」は比較的連続しており、「土地売買証文」、「金子借用証書」、「覚」等もある程度の数があり、近代の村の内部を具体的に知る史料である。
 仮目録および解題を『福岡県地域史研究』19号・20号に収録している。
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矢山村史料
 慶長年間以前は京都郡に属していたが、のち平尾台の草刈権保持に関する利害を異にしたため、上矢山と下矢山に分村し、上矢山村は企救郡、下矢山村は京都郡に属し、それぞれ矢山村となる。本史料は京都郡矢山村である。
 史料点数はわずか13点であるが、小倉県、京都郡からの布告、布達などを綴った貴重な公文書である。
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福岡県地域史研究所 所蔵地図
 福岡県地域史研究所では、文書史料とともに地図・絵図、写真・絵はがき等もできるだけ収集するようにしてきた。これらの史料は、文字史料では判然としなかったものをいっぺんに理解させてくれることがある。収集した地図・絵図の多くは購入史料であるが、家分け文書の中にも散見する。とくに絵図に関しては家分け文書の中に確認されているが、整理が済み次第、目録に追加していくつもりである。
 収集した地図には、近世の手書きのものもあるが、ほとんどは明治以降の刊行物である。近代の地図は、地形図だけではなく、俯瞰図、博覧会等の案内図などもあり、いくつかの地図には広告が記載されていて興味深い。地域的には福岡県全域と北九州地区と福岡地区が大半を占める。絵図は、屋敷図・家相図などである。
 なお、目録化にあたっては、地域分類(福岡全域、北九州地区、筑豊地区、福岡地区、筑後地区、その他)を行い、その中で年代順に並べた。
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