嘉穂銀行(一)(二)

 明治29年に設立された嘉穂銀行に関する資料のうち、現福岡銀行が所蔵する「嘉穂銀行重役会決議録」の明治29年から昭和2年までの分をおさめている。ただし明治30年から32年までの「決議録」は福岡銀行所蔵資料には含まれていないため、当該期間については、その一部を「麻生家文書」によって補充した。
 この「決議録」には、銀行の営業内容(個別の貸出しに対する可否、焦げついた融資の処理方法、有価証券の購入等)、行内規則の改廃、行内人事等銀行経営全般にわたる問題が記載されている。「決議録」としては比較的詳細に記述されており、戦前期の地方銀行の経営実態をうかがうことができる資料である。
 解題では、同資料の書誌的解説と同銀行の重役の変遷に関して解説した。
 (二)は(一)に引き続き「嘉穂銀行重役会決議録」のうち昭和3年から同20年までの分を収録した。この時期は昭和2年の金融恐慌、5年の昭和恐慌と続く日本経済の危機的な時期、さらに準戦時体制から戦時体制期をふくむ激動の時代であり、銀行経営も大きな影響を被った時期である。嘉穂銀行も不良債権の処理、利益水準の低下、経営体制の刷新、「一県一行主義」による県内銀行の合併・統合にと、矢継ぎ早の対応を迫られた時期であり、経営管理のための計数に関する報告が記載されるようになるなど、重役会決議録の内容にもその動きがヴィヴィッドに反映されている。
 さらに、本資料集には「大蔵省銀行検査答申書控」を併せて収録した。同答申書は昭和4年、7年、12年、14年に提出されている。内容は大蔵省からの質問事項に対する嘉穂銀行からの答申事項と附属諸表からなっており、当時の大蔵省が銀行経営のどの側面に関心を持っていたのか、ということを知ることが出来る。当局の関心事は、主として不良債権の処理と銀行経営の近代化にあったようであり、従って、嘉穂銀行が抱えていた不良債権の内容に関しては、「重役会決議録」よりも詳細な内容になっている点で興味深い。