研究所からのメッセージ
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企画展「史料は語る 福岡県の近世〜近代
  −福岡県史編さん25年の歩み−」を終えて
時里奉明 2007年 3月
歴史資料としての公文書
  −福岡県立公文書館について−
山田  秀 2006年10月
続 市町村合併と公文書 山田  秀
草野 真樹
2005年10月
「林遠里・勧農社」史料と県史編纂事業の継続 西村  卓 2005年 8月
市町村合併と公文書 山田  秀    2005年 3月
県民の記録資料を保存利用する拠点としての公文書館 草野 真樹    2005年 1月
続 公文書館 田中 直樹    2004年10月
応急措置として仮設の公文書室を 秀村 選三 2004年 8月
福岡県の歴史史料の保存と公開にむけて 永江 眞夫 2004年 8月

2007年3月
企画展「史料は語る 福岡県の近世〜近代−福岡県史編さん25年の歩み−」を終えて
福岡県地域史研究所
研究員 時里奉明
 2006(平成18)年、福岡県地域史研究所は創立25周年を迎えました。1981(昭和56)年に福岡県より県史編さんの委託を受けた西日本文化協会が、その内部に研究所を設けてから25年の歳月が流れたことになります。この間、研究所では『福岡県史』の編さんを進めるとともに、古文書などの文字史料を中心に、地図、絵図、写真、絵葉書などの収集、整理、保存、さらに一般への公開に努めてきました。
 創立25周年を迎えるにあたって、記念行事の企画が動き出したのは、2006年の暑い夏も終わろうとしていたころでした。会議を重ねるにつれ、企画展の担当者は県史はどのようにして編さんされているのか、また編さんするためにどのような史料が収集されているのか、あまり県民に知られていないのではないかという想いが強くなっていきました。ゆえに、県史編さんの姿を県民の皆様に少しでも知っていただきたいと考え、県史編さんの成果及び収集した史料を中心とする展示を催すことになったのです。
 研究所の所蔵史料は、現在約10万点を数えます。まだ整理が終わっていない史料も多いので、さらに点数は増えるでしょう。また、時代は近世から近現代におよび、内容も多岐にわたっています。このように、史料は大量で多様であるため、担当者がそれぞれ分担して史料を選定した結果、合わせて計約100点の原史料を展示することになりました。また、会期中に県史編さんに携わった所員による講演会も行うことにしました。こうして、企画展「史料は語る 福岡県の近世〜近代−福岡県史編さん25年の歩み−」を2007(平成19)年1月23日(火)から28日(日)まで、福岡市総合図書館1階ギャラリーで開催しました。
 さて、開催にはどうにかこぎつけたものの、研究所にとって初めての試みであり、どのくらい来場者があるのか、不安をかかえて企画展はスタートしました。ところが終わってみれば、会期中の入場者は1,300名を超え、予想を上回る盛況になりました。この間、展示した史料について、入場者からさまざまな情報を得たり、率直な質問や疑問をいただきました。また、史料の寄贈者に会場まで実際に足を運んでいただいたりしました。会期中に多くの人に来場いただき、先人たちが遺した文書や絵図などにふれ、所員の講演に耳を傾けていただいたことに大変感激し、また勇気づけられました。
 今回の企画展を通して、福岡県の歴史の豊かさと多様さを、県史編さんの歴史をふまえて、来場者の方々と共有できたのではないかと思っています。研究所はこれからも開かれた組織であり続け、県民の皆様とともに歩んでいきたいと考えています。
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2006年10月
歴史資料としての公文書
 −福岡県立公文書館について−
福岡県地域史研究所
研究員 山田  秀
県立公文書館設立の動き
 去る5月11日付の「西日本新聞」の朝刊は、福岡県が市町村と共同で公文書館を設置するための協議会を発足させ、年内にも基本構想を策定すると伝えていました。これが実現すると福岡県の歴史を学ぶうえで画期的なことです。
 福岡県は戦前戦後を通じて行政資料の保存状況が悪いため、文書館(公文書館)の必要性が早くから叫ばれていましたが、なかなか進展を見ませんでした。しかし、平成4(1992)年12月にいたり福岡県はようやく、学識経験者などを中心に「福岡県公文書館設置に関する懇話会」を設けて、県立の公文書館設置について諮問をしました。そして平成6年3月に「懇話会」は「福岡県公文書館のあり方についての提言」を答申しました。先日その「提言」を手にすることができましたが、公文書館のあるべき姿、その必要性がよく分かる提言です。しかし、財政上の問題から、今日までその建設は実現しませんでした。この度、県はふたたび公文書館の設置に踏み出そうとしているように思われます。
 ところで、公文書、また公文書館とはどのようなものでしょうか。図書館や博物館と違い、あまり馴染みがないようなので簡単に述べてみたいと思います。
歴史資料としての公文書
 県や市町村といった各自治体は、行政を進めるにあたって、起案書、決裁書、台帳、日誌、帳票等々日々膨大な書類を作成しています。これらの行政文書が公文書です。公文書館はその公文書を保存し、一般に公開・利用して貰うための施設です。
 ほとんどの自治体では、「文書管理規定」を作って、行政文書を保存し、また廃棄しています。現在使用中の文書(現用文書)以外は重要なものから、例えば永年(永久ではありません)・30年・10年・5年・3年といった具合に、文書ごとに保存期間を決めて保存しています。保存対象とならなかったものは廃棄処分されます。また、保存期間が過ぎれば廃棄されます。どの文書をどの期間保存するかは、その時点での行政上の必要性に応じて、たいていは文書を作成した課が行っています。
 それでは、公文書館とはこのようにして保存が決められた文書のための倉庫でしょうか。そうではありません。公文書館における公文書は、それぞれの文書が歴史的資料として重要であるかどうかが問題なのです。昭和62年に制定された「公文書館法」第一条は、「この法律は、公文書等を歴史資料として保存し、利用に供することの重要性にかんがみ」、公文書館に関して必要な事項を定める、と明記しています。
 しかし、それらの文書が歴史的に価値があるかどうかは、文書作成の時点ではわかりません。だからといって、すべての文書を永久に保存するということは物理的にも不可能です。保存期限がきたものについては、一旦公文書館へ移管し、歴史的に重要であるかどうかを判断して、保存するかどうかを決めていくことが必要となります。そして、それを判断するには、行政担当者だけでなく、歴史研究者や法律の専門家、そして記録資料を専門的に扱う人(アーキビスト)たちの目によらなければなりません。その上で公開・利用が行われ、調査・研究がなされます。
 このように、同じ文書であっても、自治体の現場で取り扱われるものは行政文書であり、公文書館では歴史資料なのです。
公文書館法の制定
 わが国では、公文書をはじめ歴史資料を保存・利用する施設が長い間設けられませんでした。そのため、とくに戦災や戦後の社会的混乱のため、各地の近世・近代の史料−個人の家史料や記録、また庄屋文書などの公文書−が散逸し、廃棄されてきました。一方、国や都道府県、市町村の公文書もまた、廃棄されてきました。
 このような状況のなかで、歴史研究者の間で史料保存利用運動が起こり、昭和34(1959)年に日本学術会議は「公文書散逸防止について」という勧告を政府に提出しました。
 さらに、日本学術会議は、資料の散逸を防ぐため、法による規制を敷くように昭和44年に「歴史資料保存法の制定について」という勧告を出しました。そこには、歴史資料(公文書、私文書とも)は現地で現物のまま保存すること、文書館(公文書館)は各都道府県に設置することなど、歴史資料の概念、文書館の基本的なあり方が示されています。
 しかし、この勧告後も歴史資料の保存・利用に関する法的整備は進まず、日本学術会議は昭和55年に再度「文書館法の制定について」と題した勧告を出しました。これは、法の網をかけやすい公文書の保存利用に焦点を絞って、「文書館法」という形で法律の早期実現をはかろうとしたものでした。そして、これをべースとして昭和62年にようやく「公文書館法」が議員立法で成立しました。
公文書館における文書
 「公文書館法」に規定された、公文書館で取り扱う資料は公文書だけではありません。第一条で、公文書等とは、国地方公共団体が保管する公文書その他の記録をいう、となっています。そして、同法の制定を推進した参議院議員の故岩上二郎氏は、法案の趣旨説明で、「公文書等」とは行政文書だけではなく、私文書・古文書を含むものであるとわざわざ念を押しています。また、同法の施行にあたって政府は通達を出し、公文書館で取り扱う「公文書等」の定義を行っています。それによると「公文書」とは、公務員がその職務を遂行する過程で作成する記録を、「その他の記録」とは、公文書以外のすべての記録をいい、(中略)したがって、「その他の記録」には、古書、古文書その他私文書も含まれることになる、とうたっています。
 多くの県では、県史編纂の過程で数多の史料を収集し、それが文書館建設のきっかけとなりました。福岡県でも、平成14年まで行われていた県史編纂で収集した史料は10万点以上あります。行政文書とともに公文書館で保存・利用される必要があるでしょう。
公文書館と自治体史編纂
 すべての都道府県や市町村で歴史編纂が行われています。なぜでしょうか。自治体史の編纂は行政にとって果たさなければならない使命のひとつに他ならないからです。
 私たちが現在暮らしている地域社会は、突然降ってわいたのではありません。そこで暮らしていた先達たちが、よりよい社会を作るために努力してきた結果としてできたのです。地域社会がどのように発展してきたのか記録を残し、将来へつないでいくことは行政としてなすべき大きな役割であると思います。
 そして、それは記念事業の一環として、何十年に一度というような形でなされるものではないと、私は考えています。もちろん、そのような形での通史編の編纂を否定するものではありませんが、公文書をはじめとした記録資料を収集・整理して公開・利用に供するのはもちろん、重要な記録資料を編纂・刊行することは、恒常的になされる必要があります。
 また、地域社会の歴史を知るための資料は公文書だけではありません。民間で持ち続けられた古文書や個人の記録、あるいは地図や絵はがき、映像記録等々様々なジャンルの資料を合わせ見ることが大切です。両者が有機的に結びついて過去の姿が鮮やかに浮かび上がります。
 公文書館こそがこれらの業務を行うに、もっともふさわしい施設であると考えます。
 これまで、全国で29の都道府県が文書館を設置しています。福岡県において公文書館が設置されるなら、後発の利を生かして各都道府県の長所を採り入れ、後世の人々が地域社会の歴史を知る上で有用な公文書館を設置されることを願っています。
『地方史ふくおか』 第130号(福史連、平成18年8月31日)掲載分を再掲。
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2005年10月
続 市町村合併と公文書
福岡県地域史研究所
研究員 山田  秀
事務局 草野真樹
 本年3月の研究所からのメッセージ「市町村合併と公文書」でお知らせしましたように、当研究所では、平成17年3月に合併した市町村と、18年3月までに合併予定の市町村に対して、本年2月より6月にかけて「行政文書(公文書)の管理・保管等に関するアンケート」を行ってきました。
 このアンケートは、市町村合併に伴い各自治体の現用あるいは非現用(保存)文書がどのように引き継がれ、あるいは廃棄されるのか、そして実際行政文書の管理・保管はどのように行われているのかを把握するために実施いたしました。ただし、アンケートの中身は十分であるとはいえませんし、これをどのように活かしていくかという課題も残っていますが、とりあえず集計結果をお知らせいたします。
 今回行ったアンケートは、平成17年3月に合併した市町村と現在合併が進行中の35市町村を対象に行いました。しかし、諸般の事情により実際に訪問して依頼したのは32市町村でした。そのうち27市町村よりご回答をいただきました。回収率は約84%でした。合併業務でご多忙を極める中、ご協力くださいました市町村および担当者の方々に深く感謝申し上げます。
 さて、アンケートの概略と集計グラフは以下のとおりですが、アンケートを通じて感じたことの一つは、ほとんどの市町村において文書管理規程が制定され、それに則って文書管理がなされているということです。情報公開制度が広く行われるようになり、文書管理の重要性が認識されるようになったためだと思われます。しかしながら、保存文書の選択や保存期限の決定は、文書を作成した原課や庁全体の文書管理を行う文書主管課などまちまちに行われているようです。さらに、保存年限が過ぎた文書を廃棄する場合の基準も統一されているところは少ないようです。まして、廃棄文書を歴史的資料として明確な基準をもって保存しているところは数カ町村にすぎません。保管庫もなく選別のための専門家もいないところではやむを得ないこととも思われます。ただ、すでに都道府県レベルでの公文書館を有しているところでは、公文書館が各市町村に対して、どのような文書を歴史的資料として取り扱うかというガイドラインを提示して保存を呼びかけています。また、近年は公文書館を設立して、重要な公文書を後世に伝えようとしている市町村も増えています。福岡県でも1日も早い県立の公文書館の設立が望まれます。

 アンケートの結果は以下のとおりです。
「行政文書(公文書)の管理・保管等に関するアンケート」の概略(PDFファイル 152KB)
「行政文書(公文書)の管理・保管等に関するアンケート」集計グラフ(PDFファイル 237KB)

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2005年 8月
「林遠里・勧農社」史料と県史編纂事業の継続
同志社大学経済学部教授   
同志社大学人文科学研究所長
西村 卓
 林遠里・勧農社が、明治期における日本の農業生産力水準を高める上でいかに重要な役割を果たしたかについては、少しでも日本近代農業史研究をひも解いたものにとっては、当たり前の事実である。今年は遠里没後100年にあたる。記念事業もいろいろと計画されている。
 福岡藩士の子として天保2年(1831)に生を享けた林遠里は、明治期に入り農業にその身をささげ、福岡での先進的な農業技術(特に乾田牛馬耕)とともに、「寒水浸し法」「土囲い法」、そして「冬蒔き畑苗代法」といった稲の栽培法を奨励し、作物そのものの天性に従い生育することが理にかなった農業そのものの姿であると主張し、明治前半期に福岡県下のみならず、石川県をはじめとして全国30数府県を巡回した人物である。彼はさらに勧農社という結社を創り、そこに集った福岡県下の老農を指導し、実業教師として養成し、彼らを全国各地に派遣し、そこでの農事改良にあたらせたのである。
 実は、この程度の認識は、『福岡県史』の近代史料編の1つの巻として「林遠里・勧農社」を編纂する以前から、例えば『日本農業発達史』の江上利雄や大田遼一郎の論文などでは明らかにされており、いわば常識とされていたものであった。しかし、『福岡県史』の1巻としてこの史料集の刊行が計画され、あらためて御子孫にあたる林道生さん宅の史料を調査したとき、既知の史料とともに、あらたに全国各地に派遣されていた実業教師たちからの遠里宛の書簡類が発見されたのである。京都大学の飯沼二郎先生をチーフとしてその史料の整理とともに、分析が開始された。当然、それらの書簡は実業教師たちが、派遣された地でいかに遠里農法の普及と定着に尽力したかを誇らしげに書いているものが多いわけだが、そこには各派遣地での農事景況にとどまらず、風土、文化、社会経済などにも記述が及んでいたのである。ちなみに、教師たちの栽培した稲苗入りの遠里宛の書簡を発見したときは、その感動で手が震えたことをつい昨日のように思い出す。
 整理の後、実業教師たちの書簡を筆耕し、今回の『福岡県史』近代史料編「林遠里・勧農社」の1巻に収録できた。そのことによって、林遠里・勧農社研究を一段も二段も飛躍的に発展させることができたと、この巻の編集担当者の1人として確信している。それほどに、この史料集は、学界に貢献するのみならず、明治という時代にその先端を担っていた老農=農事指導者を輩出した福岡県としての誇りを裏付けるものになる。
 しかし、この史料集の刊行で林遠里・勧農社の全体像が明らかになったわけではない。というより、その全体像を明らかにする端緒をつけたに過ぎないと今は考えている。なぜなら、のべ400名ほど(この数は正確には定かでない。むしろ福岡県から派遣された実業教師たちの指導を受け、各地でその技術を改良し定着させていった各地の老農たちを入れれば、はるかにこの数を超える)に及ぶ福岡県実業教師たちに関する研究は、10数名の活動が一部明らかになったに過ぎないのである。
 当時の福岡県農業の先進性を正確にかつ具体的に明らかにするためには、彼らの人生を追いつづける旅を止める訳にはいかない。そのことは、農業史研究の水準を一段と上げるのみならず、福岡県の歴史的先進性を全国に誇りつづけることにもなるのである。『福岡県史』の刊行継続を強く望むのはその理由からである。
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2005年 3月
市町村合併と公文書
福岡県地域史研究所
研究員 山田 秀
 現在、「平成の大合併」の呼び声で、全国で市町村合併が進んでいます。福岡県でも今年3月までに合併したものおよび合併の決議がなされたものが3市17町3村、また合併協議会が設置されたもの8市14町2村、都合47市町村が合併へと進んでいます。合併そのことについての善し悪しは、私には分かりませんが、懸念材料が一つあります。それは、合併によってそれまでの行政文書=公文書がどのように処理されるかということです。町村合併は戦前から行われ、昭和30年代にも「昭和の大合併」として全国的規模で行われました。ところが、その過程で合併以前の公文書の多くが廃棄されたようです。実際、県史や市町村誌史の編纂において、近代の行政文書の貧弱さを嘆く声がよく聞かれます。
 近年、情報公開法や公文書法の制定によって、文書取り扱い規則が多くの自治体で決められ、むやみな廃棄には一定程度の歯止めがかけられたようですが−もっとも、逆に廃棄が容易になったともいわれます−、それでも保存の基準などは各自治体でまちまちです。また、保存期間の決め方も文書を作成した課それぞれの判断にゆだねられているようです。そしてなによりも、このような保存期間が過ぎた文書を歴史的資料として後生に伝える作業は大変難しいようです。すでに、文書館のある県では、文書館がこのような調査を行い、歴史的資料としての公文書保存のガイドラインを作成したりしています。残念ながら福岡県では、いまだ文書館設置がなされていません。
 このような現況の中で各市町村では公文書をどのように取り扱っているのか、とくに庁舎の移転や分庁化にともない公文書の保存が緊急課題となっているであろう合併市町村にたいして、福岡県地域史研究所は現在、その実情を伺うためのアンケート調査を実施しています。
 当研究所は、『福岡県史』の編纂において収集した史資料を整理・保存し、それらが退蔵されることなく広く利用されるための作業をしていますが、県史編纂においては行政資料=公文書の活用が欠かせません。各市町村の公文書の歴史的資料としての保存利用に対して、当研究所がどう関われるか未だ明確ではありませんが、少しでも役立つことができればと思っています。各自治体の地域性などにより保存基準は必ずしも一様でなく、また保存のための場所、選別するための機関など、多くの問題があることは承知しております。それでも、市町村民、県民の後生に伝えるべき貴重な財産を少しでも遺すことに尽力できればと願っています。
※アンケートの集計結果は、回答回収後、このホームページでお知らせします。
→ ・「行政文書(公文書)の管理・保管等に関するアンケート」の概略(PDFファイル 152KB)  
・「行政文書(公文書)の管理・保管等に関するアンケート」集計グラフ(PDFファイル 237KB)
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2005年 1月
県民の記録資料を保存利用する拠点としての公文書館
福岡県地域史研究所
事務局 草野真樹
 わが国の都道府県では、1959年に設立された山口県文書館を嚆矢として、現在28都道府県で文書館が設立されています。九州では1995年に大分県公文書館と沖縄県公文書館が設立されています。また、岡山県では1990年「県立図書館・公文書館基本計画」が発表され、その後、県財政の逼迫により一時的に紆余曲折があったものの本年9月に「岡山県立記録資料館」の開館(その他、市町村では栃木県芳賀町、神奈川県寒川町など)が予定されています。文書館は旧国立岡山病院跡地に存する建物を活用し、新たに整備される「新総合福祉・ボランティア・NPO会館(仮称)」と一体で総合拠点施設として活用されることになります。文書館の開館には、多くの人々の長年の活動と熱意はさることながら、「県民の記録資料を保存利用する拠点」としての確固たる基本理念が存在しています。
 現在、全国的な規模で「平成の大合併」ともいわれる市町村合併が進展しています。合併により住民の利便性の向上、多様化するニーズへの充実した対応、行財政の効率化などが期待されます。しかし、一方でこれまで各市町村により作成・保存されてきた公文書等の多くが、その評価を与えられることなく廃棄、散逸するのではないか、と懸念されています。各地域において育まれてきた歴史や文化、伝統の継承にあたって公文書等の適切な処置は、改めて述べるまでもなく重要な意味を有しています。
 公文書等の保存問題については、上記の岡山県は勿論のこと、その他、鳥取県、山口県、新潟県、徳島県などの多くの文書館や資料保存機関・組織などが地道な活動を展開しています。私たちは、埋蔵文化財や古文書ばかりではなく、公文書等の保存にも大きな関心を払わなければなりません。県としての文書館を有していない福岡県においては、その緊要性がきわめて高いことを一人でも多くの県民が認識しなければならない時期に直面しています。
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2004年10月
続 公文書館
福岡県地域史研究所
研究員 田中直樹
 かつて通商産業省の「通商政策史」の執筆に加わった折、本省ならびに各通産局において、本来、保存されるべき行政文書が皆無に等しかったことに驚愕しました。また、労働省移転の際、「工場法」関係文書が破棄寸前で篤志家によって救われたことを鮮明に記憶しております。「国立公文書館設置法」が制定されてから33年、わが国の公共文化財への理解は斯の如しです。
 ひるがえって、福岡県の姿勢はどうでしょうか。情報公開の雄叫びは相変わらずですが、私の眼には空疎に映ります。なぜなら実となる行政文書をどれだけ保存してきたのでしょうか。
 先の篤志家が福岡県の労働部長として赴任した際、労働資料館の設立に奔走されました。残念ながら、福岡県が所蔵する関係文書は出先機関を含めてほとんど廃棄されていました。
 福岡県の近・現代は欠史の時代を迎えようとしています。第2次町村合併の時代、県史の礎であるこれら地域の歴史を眠らせてはなりません。
 私たちが20年以上の長期にわたって『福岡県史』編纂に名を列したのは、「将来、必ず公文書館を設立する」と、県知事の公的発言を一途に信じてきたからです。県史編纂期間中に収集した文書類を死蔵・封印してはなりません。ここは公文書館の設立を後廻しにしてでも、刻一刻、行政文書が消失する現状を憂え、その収集・保存に力を注ぐことが緊要の課題でしょう。この意味で、福岡県が将来の県史のあり方を議論している「福岡県史編さん等検討委員会」はきわめて重要な責務を担っています。
「時壇」(『西日本文化』第405号、西日本文化協会、2004年10月、所収)を再掲。
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2004年8月
応急措置として仮設の公文書室を
福岡県地域史研究所    
特別研究員 秀村選三
引揚証明書
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 西日本文化協会では、まだ全国各地にその機運が殆どなかった時から文書館の設置運動をおこし、「80年代に文書館を」のスローガンで、会誌毎号に文書館の設置を訴え続けた。幸いにこれに応えて設置されたのは、柳川古文書館と北九州市公文書館であった。  
 昭和55年福岡県史編纂が計画された際に、県庁の公文書の廃棄が甚しいのに驚き、編纂は当面旧家や大学・図書館、中央の官庁・会社等の所蔵文書によって行なうにしても、今後は県史編纂だけでなく、むしろ県政全般のために文書館を設置すべきと要望し、亀井知事も県史編纂の過程で設置を考慮するとの了解のもとに編纂事業は出発したのであった。その後、奥田知事は県議会で平成9年には公文書館を設置することを言明され、公文書館についての諮問があり、答申もなされた。しかしその後財政難の故に公文書館の設置は見送られて何の方策もなく、多くの公文書が廃棄され続けられているようである。これでは県史編纂は勿論、県政自体当面の対策だけで、長期的政策は望むべくもないように思う。
 最近、戦中・戦後史料の保存状況の調査を始め、福岡県庁には昭和40、50年代からしかないのではないかとの話に驚き、むしろ応急措置として公文書館の代替物を設けるべきではないか、財政難で設置できないと放置してよい問題ではないと思うようになった。
 各県の公文書館は町村合併による公文書の廃棄防止に懸命の努力をしている。県はせめて仮設ででも公文書室を設け、現在確保できる昭和後期以降の公文書を整理、保存し、さらに最近の非現用文書も収め、客観的評価をして保存か廃棄かを考慮すべきと思う。
 まだ民間には戦中・戦後の文書、その他の資料が多く残っており、種々の思いを秘めて今後の継承を心配している老人たちもいる。それらも併せて保存する応急の仮設公文書室を設け、公文書の廃棄、散逸を防ぎ、本格的な公文書館の設置をいそいでほしいものである。
「時壇」(『西日本文化』第404号、西日本文化協会、2004年8月、所収)を再掲。
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2004年8月31日
福岡県の歴史史料の保存と公開にむけて
福岡県地域史研究所 
所長 永江眞夫
 福岡県地域史研究所では県史編纂のために収集した史料を整理・保存し、また、整理がすんだ史料は順次公開して、皆様の利用に応える体制を整えつつあります。これは、今後の県史編纂と刊行再開に向けての準備であるとともに、公文書の保存・公開と併せて、文書館の整備のための準備作業であると考えているからにほかなりません。
 残念なことに、福岡県にはまだ文書館が整備されていませんが、地域の歴史を知るためには、家分け文書のような史料と公文書とを一体として収集・保存・利用できる体制を整えなければならないことは当然のことでしょう。また、最近急速に進展している自治体合併に際して、それまで保存されてきた公文書が散逸する危険性にも注意しなければならないでしょう。県民の皆様にも、さらに行政当局にも、是非ともこれらのことを理解していただきたいと願っています。


 福岡県地域史研究所所蔵史料は九州歴史資料館へ移管されました。史料の閲覧およびレファレンスについては、同館「県史史料・図書閲覧室」へご連絡頂きますようお願い申し上げます。詳しくは、九州歴史資料館ホームページをご覧下さい。


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